飛鳥時代後期から奈良時代にかけて米の栽培が安定し、酒造りの技術が上がるにつれて、人が酒を飲む機会も増えてきました。
神様に捧げるもの、宮中で貴族だけが飲むものから、庶民も気軽に酒を造るようになったのです。
最初は、神の祭りの時だけ、それからや冠婚葬祭や、田植えなど共同で何かをした時の打ち上げで、と増えていき、そのうち何かにつけて、あるいは別に何もなくても飲むようになりました。
まさに酒飲みの言い訳ですが、飲みたくなってしまうもんなんですね。
もっとも、大切な米が酒になって消えてしまっては大変です。 朝廷は何度も禁酒令を出しましたが、あまり効果がなかったようです。
そこで、平安時代になると酒造は免許制になり、税金がかけられることになりました。
勝手に造っちゃいけなくて、買う時には一緒に税金も払うことになります。現在と同じです。
で、どこで造らせるか、となります。
当時、糀と酒を一番造っていたのは神社でした。神事用のお神酒がいりますから。
そこで糀は神社で造ることになりました。
また、酒蔵も出てきていました。酒造りの上手い人が近所にも頼まれているうちに専門職になったとか、そういう感じなんでしょうか。
神社は糀と酒を造り、また糀を酒蔵に売り、税金を収めました。
この独占販売できるところを「麹座」といいます。
京都の北野神社などでは味噌用、醤油用、甘酒用の糀も売り出して、大いに繁盛したそうです。
味噌や醤油だけでなく幅広く活躍する糀なのに、酒のせいで税金がかかってしまうなんて、迷惑といえば迷惑な話ですね。
もっとも、糀は上手に発酵させればどんどん増えますから、いつも糀を買う必要もありません。
それに、味噌用の糀でも酒が造れます。
だから、密造酒も多かっただろうし、酒屋も増えていきました。
鎌倉時代の1252(健長4年)には、武士が飲んでばかりいては戦にならないと「沽酒の禁」、つまり酒商禁止令が出されています。
一軒一軒立ち入り検査もあって、鎌倉中の酒壺が割られたそうですが、その数4万弱といわれるほど多かったそうです。
室町時代になると、再び酒屋が増えてきました。
また、糀菌を増やすのに木灰を使う方法もできました。
これは、糀菌が木灰に強い性質を利用したものです。お粥に糀菌を植えると、どんどん増えていきますが、ほかの雑菌も増えてしまうことがあります。
そこで木灰を使うと、雑菌は死んでしまい、強い糀菌だけが残るのです。
この方法は「麹座」の秘伝とされて、より質の良い麹菌は独占されることになります。
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